BLOG

個展「VOIDに捧ぐ」についての身辺雑記

2015年10月24日 | note exhibition-2

今現在(2015年10月8日~11月1日まで)、群馬県前橋市の前橋“市民”ギャラリーにて、
僕の個展「VOIDに捧ぐ」が開催されている。
 
この場所は名前のイメージとは違い、前橋を拠点に活動している作家の方々が立ち上げたNPO団体である
MAP(マエバシ・アート・プラクティス)が運営するオルタナティヴ・スペース。
 
普段は学生の実験の場として使っているそうだが、今回は無理を言ってこの場所を使わせてもらった。
 
そもそも僕が前橋で展示する話は別で上がっていたのだが、2転3転して白紙に戻りかけていた。
そんなときに相談をしてこの空間を使わせて貰ったので、個展として開催できていることだけでも奇跡に近い。
関係者の方々には本当に感謝。
 
このブログを書いているのは2015年10月24日の展示会場にて。
この場所は基本的に作家が会場に居なければならないという条件だそうで、
客足の途絶えた午後16:15、雑記を考えている。
 
先週18日が期間中唯一のイベント日で、兄で作家の太田翔を招いたゲストパフォーマンスと
今回の作品&関連する過去作の話をするギャラリートークを行った。
予想以上に人が来てくれたため、パフォーマンスは途中から急遽外に飛び出したりと中々良かったのだった。
(その反動かな?今日はお客さんが少なめ。)
 
そんな空き時間に改めて自分の作品と向き合い、この展示がどうだったのか、自己分析してみる。
 
既存の建物に寄生してフェイクの屋外をそこに挿入するシリーズ。
これは僕の中の大筋として今回も展開をしている。
 
このシリーズ、かつては単にフェイクとは思えないほど作りこんだフェイク屋外を作るだけだった。
僕としては、既存の空間に異物を挿入する事が大文字の「作品」である、という感覚があり、
それは今でもあまり変わっていない。
かつては作りこんだフェイク屋外がただそれだけで異物だったのだが、
それが単純に「内と外」や「フェイクとリアル」などの2項対立のように固定化してきたように感じ、
フェイク屋外が実際の窓を貫いて、空気は実際の屋外と地続きになったり、
部屋側の壁が素材のベニヤ剥き出しになったり、
最近ではその中に僕が入り込んで「野宿」をしたりと徐々に変化してきた。
 
あちらでもこちらでもない両義的な状態も望んでいるのだと思う。
(もちろんそれは初期のころからなのだけど)
 
今回も僕自身がハリボテ屋外の中(外)で野宿をして、その生の痕跡をそのまま残したりしている。
 
生、作品、模型、建築、鑑賞、意識、肉体、肉親、時間、いびき、痕跡、はく製、etc…
 
それでも、作品は固定化していくだろうと思われる。
 
今回は、先の両義性を空間的に考えた作品の展開に加えて、
新たな展開として本作を制作中に出てきた宙ぶらりんの無題たちを素材に、「無題の部屋」を構成した、
 
使い切らなかったパテ、ボンド、モルタルはゴミとして固まる寸前に一部のみを建築の形にし、
掃除に使った雑巾はタワーにも見える形で絞ってそのまま渇き、ハリボテ屋外で眠る男のいびきをかき続ける映像。
 
「柱・の・ようなもの」を壁に映すプロジェクターはタンスとワニとクマの上に乗って稼働し、
どこか分からない美しい風景たちは純粋な「風景」であろうとする。
 
切れ残ったベニヤと切れたハロゲンライトの形だけとなった存在、飲み終わった紙コップの行き場の無さの上に乗るパテ建築、
 
生々しくて所属の無くなった曖昧な無名の存在。
空間化だけでなく、広く展開が出来そうだ。
 
ゲストパフォーマンスも、かつては彼が組んでいるユニット「粘土」とのコラボばかりであったが、
今回は太田翔単身でのパフォーマンスで、相方の齋藤さんが作るノイズ音が無い為、音楽的なよりどころが無くなった。
その分、彼が拡声器から発する意味の無い言葉たちが、より言葉を「ハリボテ化」していて、僕のテーマともリンクして
こちらの展開としても良かった。
 
近所の美術館では建築展、アートスペース兼アトリエのMaebashiWorksではオープンアトリエ、街中ではまちフェスと
周りではいろんな物事が湧き上がっているが、僕は今日も作品内(外)で野宿をし、明日も無題たちの中で佇む予定。
 
本当に身辺雑記になってしまった。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
 

パテ建築