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映像 6.57
企画:「Dear Camus」プロジェクト
撮影:伊藤久也
出演:太田遼
「Dear Camus」プロジェクト。
1月にソウルにておこなった展覧会のメンバーが、感染症による影響や変化を、各作家の視点でそれぞれの地域を観察記録し配信するメールマガジンに参加。
4月〜7月にかけて全6回配信。

その6回目に配信したもの。

「日本の緊急事態宣言を受け、3月20日にオープンして以来3日間で急遽閉鎖し、長らく臨時休廊していた僕の個展が6月20日に再開した。
2週末分、4日間のみの開催であった。
緊急事態宣言が解除されて色々な活動自粛が緩和されたためであった。
とはいえ、日本はまだまだコロナ禍で、日に日に感染者数が増え続けていた。
再開の対策として予約制としたため、ごく限られた人にしか開かれなかった。
閉鎖中も開き続けていた穴は、入り口のドアが再開したことで改めて貫通したとも言える。

風景は異物として、観客につられるように穴からじわじわと室内に入ってくる。

ウィルスによる災害は震災などのように物理的な破壊がなく、一見すると目に見えないため、3月頃の風景と変わらないようにも見えた。
しかし、そこには確実に違う「何か」があった。

まだアフターコロナとはいえない東京の風景の中で、僕の個展は一応の終了となった。
異物としての風景は、ただ通り過ぎて忘れられるものになるか、気づきとして、その後を生きるものになるか。

ところで、かつて「ウォッチメン」というコミックスがあった。
1986-87年にかけてアランムーアによって描かれたコミックスは、米ソ冷戦中に右往左往する数々の覆面ヒーローがリアリズムを持って登場する。そのうちの1人、オジマンディアスという最高のIQをもつヒーローは、架空の地球外生命体をでっち上げてニューヨークを襲わせることで、深刻にいがみ合う世界に協力して対応させ、核戦争による第3次世界大戦の回避を企てた。
世界大戦を回避するためには、おびただしい数のニューヨークの死者は必要な犠牲だというこの論は、もちろん間違っている。
しかし世界が対立したままではいけないというのは、その通りだ。
だが、世界共通の敵と共闘するために分断されていた世界をつなごうとしたオジマンディアスの読みは、甘かったようだ。
我々世界が共通に直面しているcovid19を目の前にして、分断と差別、無理解が進んでしまっている。
いや、それ以前から抱えていた問題が表面化したとも言える。

我々はコロナ禍で見えた「何か」を直視して気付き、問題を癒すことができるか。
それともまた忘却の彼方で問題を欺瞞で覆い隠すのか。」
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